のぶさと便り タカちゃんのりんご日記

 

タカちゃんのりんご日記 

 たかちゃんのりんご作り一年の日記。現在進行形です。

 

2014年

NEW 8/29 UP 

さあ、つがるの収穫だ。

 いろいろあったけど、今年もやっと収穫だな。

 今年、長野県では、マイマイガの大発生があったんだ。山で生まれた幼虫が里にも押し寄せて、果樹だけじゃなく庭木の葉っぱにもたかった。庭の柿だの梅だのも丸坊主にされちまったよ。

 さいわい、りんご園では葉摘みのときに気づいて、まだ虫がほんの一センチになるかならないくらいで片っ端から取ったので、あまり被害はなかった。

 台風や異常気象も、うちではそれほど影響がなくてほっとしたね。そんなこんなで、今年もまずまずの出来だね。

 
真っ赤に実って収穫を待つつがる
真っ赤に実って収穫を待つつがる

 いま、赤くなったのから獲ってるが、今年は色つきが遅いね。長雨もだが、日が照っても高温だと色つきが悪くなる。日が照ってぐっと冷え込むと、一気に赤くなるんだが。

 つがるは早さが勝負の品種だから、みんな青くても出すんだが、うちは赤くなるまでもう少しおいとく。ただ、木で赤くしてから出すとすぐふけちまうから、都会へ出すとなるとどうしても青いうち、となるんだね。

 
色づきを待ってから収穫するつがる
色づきを待ってから収穫するつがる

 だからいまは、つがるは色つきを見ながら収穫して、あとはこれからの秋映えやふじの見回りをしてるよ。暑い日は日陰をさがしながらね。

 
ふじはまだ青い
ふじはまだ青い

 これから3ヶ月くらい、今年のりんごが次々と収穫を迎える。

 この時期は毎年、もっとああすればよかった、とか、もっといいりんごを作れたんじゃないかとか、毎年反省の時期でもあるんだ。この歳になってもこれで満足、ってのはないねえ・・・

 
 
 

★りんご一口メモ

    その② 品種いろいろ

 ひとくちに「りんご」といってもいろいろな品種があります。

 いま収穫の最盛期を迎えているつがるは、早生(わせ)の代表格。8月中旬から9月初旬に収穫の早生品種はさっぱりした食味が特徴で、今年いちばん早くできるりんご。なかでも一番早いのが「祝(いわい)」で、盆のお供えにも使われます。

左から、つがる、さんさ、ファーストレディ
左から、つがる、さんさ、ファーストレディ

 早生品種には、その他、さんさ、ファーストレディといった品種もあり、タカちゃんのりんご園でも作られていますが、つがるに比べると栽培が難しく、収穫量も少ないのでもっぱら自家用だとのこと。ちなみに、さんさはつがるよりやや甘め、ファーストレディはやや味が濃い?感じでした。

 
左から、秋映え、シナノゴールド、シナノスイート
左から、秋映え、シナノゴールド、シナノスイート

 早生につづくのが、10月から収穫の中生種です。真っ赤な色が濃い秋映え、甘みの強いシナノスイート、黄色のシナノゴールド。この三つは「シナノ三兄弟」と呼ばれることも。中生種は近年各地で開発が進み、どんどん品種が増えています。

 このなかには、小さめで丸かじり用のりんご(ピッコロ、スリムレッドなど)もあります。そもそも世界を見渡すと、日本以外ではりんごは丸かじりの小さいものが主。そこで日本でも早くから、そういうりんごを、という声がありましたが、最近になってよく出回るようになってきました。

 
りんご収穫の最後を飾る「大トリ」はふじ
りんご収穫の最後を飾る「大トリ」はふじ

 りんご収穫の最後を飾る晩生種といえば「ふじ」。ふじが登場したのは1970年代ですが、以来40年、りんごといえばふじ、と言われるほど不動の主役に。酸味と甘みのバランスに加え、貯蔵がきくのが特徴です。

 さて、現在の日本のりんごは、もとをただせば明治以降、西洋から入ってきたものです。それ以前のいわゆる「和りんご」は今では栽培されておらず、各地にわずかに保存されるだけです。

 りんごは近代以降、青森を一大産地として栽培が進み、やがて長野でも作られるようになりました。とくに戦後は大人気、国光、紅玉、スターキング、ゴールデンデリシャスなどが出回るようになります。そしてこの国光とデリシャスから1970年代に作られたのがふじでした。りんごの食味が、酸味系から甘み系に移るなか、いまではかつての品種を見ることはなくなりましたが、こうしたなかでもいまも根強い人気があるのが紅玉、酸味の強い独特の味わいはぜひ残したいものです。

 
 
 

3月ー剪定が終わった

 少しづつやってるから時間がかかったけど、剪定もほぼ終わった。大雪の影響を心配したけど、おかげさまで被害はなかったね。小さいことはともかく、大勢に影響はなかったね。 

 去年は豊作だった。その翌年は花芽が良くないといわれてるんだが、今のところ順調だね。

 これからいつものように、剪定枝を燃やして冬のために炭をつくる。毎年のことだけど沢山あるね。

 
タカちゃんが剪定した大量の枝 これが炭になる
タカちゃんが剪定した大量の枝 これが炭になる
 
 

★りんご一口メモ

    その① 「剪定」(せんてい)

伝統的な開心形 大きい
伝統的な開心形 大きい

 リンゴ園の冬の作業といえば「剪定」。
 冷たい風の中、ときには雪の中のでの剪定作業は大変ですが、りんごの出来を左右するとても大切な仕事で、花芽が動き出す前の寒い時期にやらなくてはなりません。
 そもそもりんごの剪定方法は、明治以来現在に至る日本の近代りんご栽培の中で、培われてきたものです。
 もしりんごの樹をそのままにすると、高さも5mを超え枝を上へ上へと伸ばします。それでは収穫量の点でも、作業のやりやすさの点でも不都合なので、樹高(樹の高さ)を抑え、収量を増やすための剪定技術が発達してきたのです。
 太い中心の幹(主幹とよびます)を低い位置で切り、数本の枝(主枝とよびます)をタコ足のように展開させる形は「開心形」と呼ばれています。これは日本独自の剪定方法で、樹形を作るには10年以上かかります。樹高が低くて作業もしやすいうえ、果実の実りもよく、樹の寿命も長いなど、すぐれた特徴をもつとされます。日本のりんごの多くはこの形です。
 

 
わい化樹木 コンパクトに並んでいる
わい化樹木 コンパクトに並んでいる

 1970年代以降、欧米育ちの新しいやり方も広まってきました。コンパクトな小さめの樹(わい化樹とよびます)を一列にぎっしり植えるやり方で、「新わい化樹」とか、「主幹形」などと呼ばれています。
 「開心形」が低く大きく枝を伸ばすのに対して、「主幹形(新わい化樹)」は細くて高い円錐形をしています。
 剪定作業は、こうした基本の樹形を作ることを基礎にして、風通しををよくし、太陽の光をすみずみまでゆきわたらせるよう、枝を切ったり枝の伸び方を工夫したり(誘引とよばれます)をくり返していくのです。「剪定はりんご作りの中でもいちばん難しい作業」とも言われ、経験と勘がものを言うワザです。
 こんどりんご園に行ったら、こうした剪定の結果をその目でたしかめてくださいね。    

 
 

2月ー大雪が降って

いやあ、こんな大雪は生まれて初めてだなあ。

ひと冬に雪がだんだん降り積もってこれくらいになった、っていうことはなかったわけじゃないが、いっぺんにこれだけ積もったのは初めてだ。このあたりは7,80センチってとこだが、のぶさとでももっと標高が高いところはすごい積雪だよ。

タカちゃんのりんご園を除雪する区長さん。
タカちゃんのりんご園を除雪する区長さん。
 
 

 軽トラの道を除雪してもらったので、これでなんとかりんご園に来ることができたよ。でも雪が深いから、いつものような作業はまだできないね。

 さしあたって、木の根元に灰をまいて雪を溶かしてる。こうしておくと、日があたって雪が解けやすいんだ。

 

 このままだと、雪の害があるかもしれないな。

 ひとつは、雪が融けるときに、雪に埋まった枝がその重みで折れたり、裂けたりするかもしれないってことだ。

 もうひとつは、うさぎの害。ふつうなら枝まで届かないんだが、雪があるんでちょうどいいってわけで、枝の若芽を食っちまう。今年はうさぎの足跡が多かったなあ。天敵のきつねが減ったのかなあ。

 

 まだいつものような剪定はできないよ。はしごが立たないしな。

 まあ、雪も大変だが、こんなに寒い2月ってのもなかったね。

 
 
 

1月ー今年の剪定作業はじまる。

ことしもよろしくお願いします。
 
年が明けて雪が積もったけれど、年の初めはなんといっても剪定だな。リンゴ作りの一年はここから始まる。冬場の剪定の具合で、リンゴの出来が違ってくるんだ。俺のは枝が重ならないように、ヒモで結んだり、いろいろやっているんで、なかなか進まないけれど、少しずつやってるよ。
 
 それから去年のリンゴについても色々データが出てきたな、幸いうちのところ(信里・有旅)は良かったよ。地域の品評会でも高い評価だった。でもやっぱり異常気象・温暖化の影響があちこちで出ている。
 まず雨だけれど、必要な梅雨のときに少なかった。それがフジの作柄、全般的に小玉(実がちいさい)になった。ただ蜜はよく入っていて、味もよかった。秋映の出荷のころは、まだ大丈夫だったったんだけれど。それから秋(8月、9月)に平年の3倍の降雨量があって、タンソ病の原因になったりした。
 それから温度。県内では3月末に暖かくて、逆に4月に入って霜が降りたりした。花芽をやられたりしたところもあって、被害がでた。温暖化の影響があって、適地とされていた長野の平地の産地は、病気や味の関係で苦戦しているようだ。
 あれやこれやををくぐり抜けて、なんとか去年はおおむねOKだったけれど、やはり温暖化や異常気象の影響はこれからも注意してかからなければならないね。

 

 それから新年ということもあって、長野のリンゴ栽培の長い間のことを考えたりすることがあるね。長野でリンゴが始まったのはもう100年以上前だけれど、いろいろな試行錯誤や紆余曲折をへてきていてね。思い出すのは昭和25~30年ごろ、このころリンゴは良かった。「役場一ヶ月の給料がリンゴ一箱」ほど高値のこともあった。リンゴは人気もあって高級品だったね。まだ栽培技術も高くなくて、収量も少なかったしね。色々な理由があったんだけれど。それでどんどんリンゴ畑が広がっていった。それから悪いときもあって、一箱300円に下がっちゃったんだ。そのころは良くなかったね。それを救ったのがフジ。フジは味もよく、保存もきいて人気の品種になった。長野では、始め安曇野の北で栽培が始まって、かっての養蚕農家が多かった地域に広まって一気に耕作地が増えた。それからフジがずっと主力品種になっている。もう40~50年たつかな。だから、当初の木はもう老木になっていて。本当は3割位は若木に更新しなきゃいけないんだけれど、後継者問題もあって、なかなかそういってないのが現実だな。
 
 うちのところは、たくさんのリンゴオーナーのみなさんの支援もあって、なんとかやっている。今年も信里・有旅のリンゴ園にぜひきてください。